「KuToo」運動を見て思ったこと-ハイヒールの高さと女性の美意識について
私は最近めっきりパンプスというものを履かなくなりました。
しかしそんな私も若い頃は靴が大好きで、下駄箱に入りきらないほど、たくさんのハイヒールを持っていました。足は二本なので履ける数は限られているのに、暇なしデパートの靴売り場へ行っては趣味のように靴を見て、せっせと増やしておりました。当時の私は主に7センチ以上のヒール靴を愛用していて、10センチヒールのものもいくつか持っていました。
あの、熱病に侵されていたかのようにハイヒールを集めていた時期は一体何だったのだろうと、今になって思い返しています。
ふと自分の靴遍歴を振り返ってみたのも、最近ネット「KuToo」という運動の記事を見たからなのでした。「KuToo」とは「靴」と「苦痛」に、女性がセクハラを訴えた運動として昨年から話題になった「Me Too」をかけた造語だということです。
この「KuToo」運動を始めた女性によると、女性は職場等「きちんとした場」でパンプスを履くことを強いられているという現状を変えたいという思いからスタートさせたとのこと。確かに冠婚葬祭等、相手に不快感を与えない「きちんと」した服装が求められる時、スニーカーなどカジュアルなものは以ての外ですが、パンプスでもぺたんこ靴(ヒール1-3センチ以下)は適切でないように思います。
「きちんとした装い」と言えば、皇室の方々の服装ではないでしょうか。皇室の女性たちはだいたい5-6センチのパンプスを履いていますね。ただし、皇室の女性たちと一般の女性たちの違いは「パンプスを履いて労働を強いられるか否か」ということだと思います。
「KuToo」に賛同している人たちはこの世からパンプスをなくそうと言っているわけではありません。履きたい人だけが履きたいときに履けるようになってほしい、痛い思いをしてパンプスを強制されるのは勘弁してほしいと訴えているのですね。私自身は至極真っ当な訴えだと思うのですが、女性にとってのパンプス問題はなかなか根が深いので、一朝一夕に解決するのは難しいかもしれません。
男性にとってはピンとこない話かもしれませんが、正直ハイヒールなんて履きやすいはずがありません。最近でこそ「走れるパンプス」という名前のヒール靴や、下着メーカーのワコールに、ハイテクシューズを作っているアディダスやアシックス等が、それぞれの技術力や研究成果を活かしたハイヒールを開発しています。
ここまで来るにはたくさんの女性たちが靴擦れで足を引きずり、長年痛い思いをしてきたという過去がありました。そうした長い冬を乗り越えてたくさんの屍の上に近年「パンプスは靴擦れをして履くものだ」という常識(諦め)を覆そうとする動きが出てきたのです。そしてたくさんの女性たちの悲願が「今度こそ痛くないパンプスを作る」というメーカーの企業努力を引き出したのだと思います。
今でこそそういった靴が出てきましたがそれ以前から、世の中には強制されてもいないのに、好き好んで拷問のようなハイヒールパンプスを履く女性たちがたくさんいます。かつての私もその一人でした。
では痛くて歩きづらい靴をなぜ履くのか…
私なりに考えてみた結果、それは「女のプライド」なんじゃないかという思いに至りました。基本的にはハイヒールを履くのは主に女性です。華奢で美しいシンデレラのガラスの靴のように繊細なハイヒールは、女性の美意識の象徴の最たるものだと思います。
彼女たちは苦痛に耐えながらも美意識を貫き通す自分を愛しているし、尊いと感じている。そしてヒールの高さは高ければ高いほど、しんどいほど“偉い”のだと思います。他の何かに例えるとすると、天下を獲った武将が高いところに城を構えるのにちょっと似ている気がします。
私はこのちょっとしんどい天下取りから一足お先に降りてしまいましたが、何はともあれ何かを強制される社会でなくなって、生きやすくなるといいですよね。
この先「KuToo」運動がどんな風に発展していくのか、しばらく見守ってみたいと思います。