犬と猫から見て学ぶ、人それぞれの心地いい居場所
ここ数年、猫ブームなんて言われて久しいです。日本の住宅事情(狭小住宅)と現代人の生活(核家族化、夜型、運動不足)にぴったりハマったのか、犬と猫の飼育頭数が逆転し、猫の方が犬を上回ったと聞きました。猫は多頭飼育している人が多く、飼育数が伸びやすい傾向にあるのだと思います。
犬を多頭飼いするとなると散歩や犬の生活場所、餌代等でなかなかハードルが高いと思われますが、猫の多頭飼育は一定のルールや環境を整えれば難しくありません。
我が家には3匹の猫たちがいますが、1匹だったときも3匹いる今も手間が大きく変わった感覚はありません。
イヌ派・ネコ派など、犬と猫はいつも比較で語られることが多いのですよね。
かく言う私はネコ命。大大大のネコ好きで猫無しでは生きていけない人間です。
そもそもが動物好きでテーマパークとかよりも、動物園か水族館か牧場あたりに行っていれば満足。爬虫類でもカエルでも生き物ならだいたい愛でてやまないので、もちろん犬も好きで家庭事情が許せば犬も飼いたいくらいなのです。しかし都会にいるうちは難しそう…
なので「どっち派」みたいなカテゴライズをされることに抵抗がありますが、強いて言うなら私はネコ派でしょうね。
こんなに全然似ていない生き物たちなのに、なぜいつもセットで語られて派閥?までできてしまうのだろうと思うのですが、それは「飼う側の人間の特性が違いすぎるから」…なんじゃないかと私は最近思っています。
イヌを飼うならある程度の広さの家が必要だし、朝晩2回の散歩は必須。以前「小型犬なら散歩は必要ない」と考えて小型犬を飼う人が結構いると聞き、ショックを受けました。
「おいおい、あなたは散歩が面倒かもしれないけど、犬にとっては最大の楽しみなんだからさ、散歩行けないなら飼わないでやっておくれよ」と私は思うのです。
そもそも犬は「外で走り回りたい生き物」。それは犬の起源(祖先)をたどれば狼だったことからも伺えるし、犬が果たしている仕事(牧羊犬は羊を追う、救助犬は人を助ける、警察犬は犯人を探す)を考えれば、やはり犬を一日中家の中から出さず運動させないことがいかに彼らにとってしんどいことか…犬は飼い主さんと自分のお気に入りの場所へ繰り出して、遊びたいと思っているのではないかな。
一方、ネコは狭くて暗いところや、高いところへ登るのが大好き。彼らに必要なのは広さより高低差。我が家もキャットタワーなるものを用意しており、頂上は猫のお気に入りスポットのようで大抵が誰か登っています。天界から人間界を見下ろすカリン様(ドラゴンボールの神様で見た目は白い猫!)のように「苦しゅうない」みたいな悟り顔をして、人間を見下ろす猫さま。人に触られたくないときは高いところへ登り、ちょっと寂しくなったりご飯くれ~という時は降りてきてスリスリしてきます。
なぜかクリエイターと呼ばれる職業の人たちは昔から「ネコ好き」が多いとのこと。
確かに「ネコは夜型で自由気まま、人に媚びず我が道を行く生き物」…
そんなイメージが「クリエイター」という職業を選ぶ人間の特性と、なんとなくかぶるような気がします。
一方犬は「●●の犬め!」なんてセリフがあるくらいに主人に従うことを特性とする生き物。
主従がハッキリしている方が犬にとっては幸せです。猫が独りを好み自由気ままなクリエイターに例えられるように、犬は上司や組織に忠誠を誓う会社員に例えられたりしますよね。それはどちらがいい悪いの話ではなく、持って生まれた習性なんです。
犬にキャットタワーを与えて登れといったって登らないでしょうし(犬は一般的に自分の背丈よりあるような段差を上り下りすることはできません。猫は自身の体長の何倍もの高さをゆうに上り下りします)、猫に首輪や服を着せて散歩するのは、本人(猫)にとって大迷惑です(たまに散歩する猫や服を着る猫をテレビで見かけるけど、あれは珍しいからネタになるのですよ…)。
そう考えてみると「イヌ派・ネコ派」という括りも、単にどっちが好きかみたいなことより深みのある話に思えてきます。
できること、やりたいこと、安心して自分が自分らしくいられる居場所…
それは特性が違えば全く違う。
今度犬や猫を見たら、自分はどっちかな?自分は今居心地の良い場所に生きられているかな?と感じてみてください。(俺はイグアナだなって人も中にはいるかもしれませんが・笑)
あなたがキャットタワーのてっぺんに置かれている犬なら、今すぐそこから本来の居場所を目指しましょう!