ツイ廃のオタクが「ご縁」についてあらためて思うこと
先日Twitterで突然行動制限がかかって大騒ぎになりました。と言ってもSNSなど利用しない一般の方にはなんの影響もないのでしょうが、ツイ廃気味の私にとっては大打撃でしたよ。
私は二次創作をするオタクでTwitterにアカウントをいくつか持っていますが、それぞれの村(同じ作品、推しなどを愛好する人の集まり的概念)の村人たちは阿鼻叫喚でした。
悲観して泣き出す者あり、他のSNSでのフォローを宣言、呼びかける者あり、状況をリツイートして知らせる者あり…とにかくそのとき各々の状況に応じてなんとかせねばこの桃源郷がなくなってしまう、自分の居場所を守られば!と必死なのでした。
Twitterの場合は特にオタク趣味の割合も高いということなので、ここから推しの情報を得たり、萌絵を摂取したりしている人も多くいます。自分の作品(絵や漫画、ドールやコスプレなど)の発表の場として使っている人もたくさんいます。そのような人々にとってその場があることはもうあたりまえの日常なので、もし無くなればとてつもないダメージを食らうでしょう。
かくいう私も世界にひとりきりになったような孤独を感じて、途方に暮れるだろうと想像しています。リアルで仲の良い友人がいなくても、SNS上でのコミュニケーションで十分です。本名も知らない、住所も知らないオタ友とものすごくコアでディープな趣味の話をしたり、イベントで会ったりオフ会をしたり。その距離感が心地よく、ここは自分のサードプレイスなんだと感じます。
現代の若者は電話やメールどころかLINEも煩わしく、SNSのDMでやりとりをするということです。昔のように住所録や連絡帳を作って「友達」という括りで一元管理するものではない、ということなのでしょう。
「縁」というのはナマモノであって旬があり、執着するものではない。一期一会と思って今この瞬間を楽しむ。SNSの繋がりにある意味で人間関係の真髄を見た気がしました。