「忘れる」こと、恐るるべからず
「最近もの忘れが激しくて困っている…年かな?」少し先輩の方たちから頻繁にこんな声が聞こえてきます。
いやいや、若い頃からすぐ忘れてしまうタチで…という方もいるかもしれませんが、
基本的に人は「忘れる」ということを悪いことと捉えていると思います。
母親と話していると「もうその話百万回は聞いたよ…」と思ってしまうことがあります。
始めはそう思いながらも我慢して聞いているのですが、
明らかに「またその話か」というのが出てくると途中で遮ってしまうこともあります。
少し意地悪かと反省したりもするのですが、結構な長話のうち、
毎度聞かされる方はスルースキルを磨かねばなりません。
しかしどうして年配の人は同じ話を何回もするのかな?
本人は誰にその話をしたかもう覚えていなくて話しているわけだから、
私以外にも同じ話をしているのだろうなぁ…だとすると本当に何十回も同じ話をしているんじゃないか?
まるでお笑いや落語の持ちネタのようだ…と「忘れる」ことについて若い頃から不思議に思っていました。
最近たまたま94歳の方が書いたエッセイを読む機会があり、
その本が長年の疑問を解消してくれて「なるほどな」と思いました。
この方の書かれるところによれば、
『忘れることは悪いことではない。忘れることはむしろとても良いことだ。
人は一晩眠れば嫌なことを忘れ、朝一番の頭の中は清掃後のようにスッキリとしている。
忘れないことに於いてコンピューターに勝つことはできないが、人は忘れるようにできているのである。
それも都合の悪いこと、嫌なこと、忘れたいことだけ選り分けて忘れることのできる“高度な選択的忘却”ができる。
適度な忘却は人の幸福にとって欠くことができない』
ということでした。
そして大切なことは『ただ忘れればいいと言うわけではなく、
忘れて空いた分楽しいことや嬉しいことで補充する』ことだと言っています。
前述のように、人は高度な“選択的忘却機能”を持っているので、
逆に「都合のいいこと、自分の利益になること」についてはなかなか忘れないようになっているとのこと。
「どんな小さなこと、他人が見たらつまらないようなことでも、本人にとって嬉しいことは忘れないのだとか。
何ともうまくできているなぁと感心し、母親の「百万回同じ話を反芻する行為」にも納得するのでした。
「もの忘れする自分」を責めていたみなさん、もう思い悩むことはありません。
それは悪いことではなく、楽しみを迎え入れるため心のメモリーを増やしているだけですから…
さぁ、今日から“高度な選択的忘却装置”をフル回転させて、楽しいことだけ反芻しましょう!!