人間万事塞翁が馬って話。
新年になると、大体の人が神社やお寺へいって「おみくじ」を引きますよね。
そのこと自体はもう日本人のお正月の風物詩として根付いているので、何か考えた上でおみくじをひくというよりかは、なんとなく成り行きで引いている人の方が多いのではないかと思います。
実は私は神社仏閣巡りが趣味でして。旅行先ではだいたいその土地の名前のある神社仏閣には時間をとって行きますし、自分が住んでいる関東近辺の聞いたことがあるようなところには結構行きました。
そんな私は年間10回以上もおみくじを引くのですが、いまだかつて一度も凶を引いたことがありません。凶のおみくじにはいったい何が書いてあるのか気になってネットで調べたくらいです。
そもそも、おみくじの吉凶ってなんなのか…だいたい運気のランクづけなのだろうとは思っているのですが、調べてみるといろいろなことを言っている人がいて余計に混乱します。
例えば「凶を引くのは、これ以上下がらないということだから、よくなる一方だ」とか、大吉はその逆で「今がピークでこれから下がるから気をつけろ」とか。
つまらない考え方をすると、神社によって違いはあれど比率的に一番引きやすいのは吉であって、少ないのは末吉とか小吉あたりだろうから、この辺を引き当てるのがくじ運的には一番良いのではないかと考えてみたりね…
最近よく見かけるのは「おみくじの吉凶はあまり重要ではない。本当に重要なのは”和歌”の部分だというもの。おみくじには例えば総合・恋愛・金運・勝負事…等々いろいろ分けて書いてあるが、まずおみくじを引く前に神仏に対しての質問をきちんと明確にすることが必要らしい。そうでないと神様仏様も的確な答えが返せないというのを記事で読んだ。
そしてその問いに対しての答えは”和歌”に書いてあるというもの。
そうか、まぁ神様仏様だってきちんとした質問がわからなかったら確かに的確な答えは返せないだろうなぁとは思う。でもそんなに吉凶は重要でないなら、なんであんな目立つところにバーン!と書かれてるんだろう。
それもめっちゃ存在感があってインパクト大。
とにかく、おみくじを(なんとなくにしろ、確固たる問題解決の決意を持ってにしろ、藁にもすがる想いにせよ)引いたからには「吉凶」が一番気になってしまう問題からは、誰も自由になれないんだよなぁ。
凶が出たって気にするなとか、これから良くなる一方だからとか言われてもやっぱり気にしちゃうんじゃないのかな。
そんな人間のちっちゃい一喜一憂から解き放たれて、「人間ね、塞翁が馬だから。そんなことに振り回されちゃいけないよ。」と言っているかのようなおみくじが、東京のナウでヤングな街(死語)にありますよ。
明治神宮のおみくじには吉凶がないのです。和歌しかない潔さ。いつひいても「優なるものなり…」(現代訳:味わい深いなぁ)と雅な日本の心を思い起こさせてくれるのですが、実はあんまり意味がわからなかったりする。和歌だし文体も古いし…明治神宮には外国人の参拝客も多くて、確か英訳はついてなかったと思うがあれを見て何を感じているのかなと不思議に思ったりもするのだけど。
でも実はおみくじの本質は“あれ”なのかもしれないとも思う。
誰も今自分の身に起きていることが、本当の意味で吉と出るか凶と出るかなんてわからない。
例えば今絶望に打ちひしがれて死にたいくらいに思っているような状況にある人が、長い年月ののちに「あの時期があったから今の自分がある。苦労してよかった」と思えていたり、人生の絶頂にあるほど幸せに見えた人がそこから真っ逆さまに苦労の連続に陥ったりなんて話は、枚挙にいとまがない。つまりおみくじは「人間万事塞翁が馬」ってことなんだな。
次におみくじを引く時はぜひ、引く前にちゃんと神仏に自分がお伺いしたいことをお問い合わせしよう。そして、あの和歌に書かれた、なんともわかるようなわからないような、でも何か不思議と感じるような言葉たちから、神様仏様の本当に伝えたいことを読み取ってみようと思う。