フォントや行間、文字間にこだわるという感覚
デザイナーにとって、フォントって切っても切れない仲で、この仕事をやっている限りはずっとお付き合いしていくんだろうなと思うことがあります。
このあいだ、デザイン関連以外の人と話していてたまたま「この文字の並びはシンメトリーで美しいなあ」とつぶやいたときに(本人は気づかないけど、こんなことを思う時点で職業病のようです)、これはデザイナー特有の感覚なんだなとあらためて思うことがありました。
私は文章を書くことも好きなので、ふとしたときに日本語特有の「ひらがな、カタカナ、漢字、英数字、さまざまな記号」が混じる文字の並びや、読んだとき脳内に響く韻を「美しいなあ」と感じるのです。
それはきっと、デザイナーならば、もしくはコピーライターや編集者などの「文字との付き合いが密接な人たち」は皆持っている感覚。でもほとんどの人は「文字の字面の印象がどうか、文字と文字の間がどうか」なんてことは気にせずに生きている。
世の中には文字が溢れていて、どこを見渡してもフォントが踊っている。一歩外に出て街を歩けば、意識せずともそれは飛び込んで主張してきます。そのルックスは口がついているわけでもないのに、とても饒舌で雄弁にものごとを伝えようとしてくる。まるでひとり一人性格と個性を持った人間のよう。
あんなにも自己主張の激しい“彼ら”をほとんどの人は意識せずに毎日すれ違っていることが、私には不思議でならないのだけど…
今日も私はたくさんの個性を持った彼らの中から「君だ!」と思う文字を探して、言葉遊びって楽しいなと感じるのです。
それは日本語の文字を並べたときのときめき…フォントって素敵だな、組版っていいなって思うのでした。