宿題って誰のため?
最近お子さんをお持ちの方々と話していてカルチャーショックを受けたことがいくつかありました。私は子どもがおらず自分が子どもだった昭和の学校から情報がアップデートされないまま、浦島太郎になったような複雑な気分で話を聞いていました。
最近の教室には廊下との壁がない、プールには腰まで浸かる消毒槽がない、放課後の校庭は子どもたちに解放されず17時には鍵がかかる..等々、私は知らないことばかりで口がアングリしてしまいました。
子どもさんをお持ちの父兄の方々には「そんなことも知らないの?」とむしろ驚かれるかもしれませんが、接点がないので自分が在籍していた当時のままなのです。たまたま知らなくても困らないことなので普通に生きて来られましたが、デジタル介護と揶揄されてIT化から取り残されてしまっているお年寄りの気持ちが少しわかる気がしました。
中でも一番私を固まらせたのが、ニュースで見た「夏休みの宿題をなくす学校が出てきた」というもの。もし私が保護者だったらとても困惑しているだろうと思います。
とても優秀で自律的、自ら率先して課題を見つけ目標と締切を設定しやり遂げる子どもと、それを信じて見守ることができる親がどれほどいるでしょうか。
学校教育が人手不足の中さまざまな問題を抱えていることはニュースで見ます。しかしいくら手が足りないからと言って教え育むことを放棄したら、その存在意義がなくなってしまうのではと感じました。
教育の根幹が「学び、それによって考える力を養うこと」だとしたら、その力がつく前に野に放つのはいかがなものかと。
宿題がないよと言われた子どものほとんどは喜ぶかもしれません。ほんの数名の子は困惑するかもしれません。そのうちの一人は自ら計画を立てやり遂げるかもしれません。数十年先の未来に、その子ども達にどう差がついていくのか…私は蚊帳の外からそっと静観していくほかないのだなぁと思いました。